言葉と認識。

ニッカオフィスのウチヤマケンイチです。

人が何かを認識するには、「それを表す言葉」が必要なんだって。
むしろ、それを表す言葉があるからこそ、その物事を認識できるとも言える。

例えば、色の話。
メキシコ北部のタラフマラ語という言語には、青と緑のちょうど間くらいの色に名前があるらしいのです。
だからタラフマラ語を話す人は、その色を「認識」することができるんだって。

日本人はその色をずばり表す言葉を知らない。
だから、その色自体を「認識」できないそうです。

色って、目で認識するものだとばかり思ってました。
もちろんそれは違いないんでしょうが、目で知覚したあとに最終的には「言葉」によって認識してたんですね。

つまり、言葉が増えれば認識できるものも増える。

仕事で横文字や専門用語ばかり使う人って、嫌がられます。
はたから見たら何を言っているのか分かりづらかったり、そして気取っているようも見えるんでしょう。
確かに僕も聞かされる立場であればやたらと横文字を使う人は、すこし鼻につきます。

ただ、かくいう僕も結構横文字をよく使ってしまっているような気が。あまり自覚はないんですけど。
なぜかというと、意外と横文字でしか表せないニュアンスがあるんですよね。格好をつけたいというわけではなくて。
なにも横文字って、日本語の訳語というだけじゃない。

アジェンダ、コンバージョン、デフォルト、ナレッジ。

上げだしたらキリがないですが、どれも日本語に訳してしまうと意味まで変わってしまいそうです。

逆に日本語じゃないと、本来の意味を正しく表せないものってあるじゃないですか。
「はんなり」とか。「おもてなし」とか。それと同じだと思うんです。

そういえば、英語の「Identity」という単語。
中学生の頃に英語の授業で「この言葉は日本語ではずばり表せないんだよ」と教わりました。
当時は驚きました。日本語に訳せない言葉なんてものが、存在するのかと。

でも、確かにいま考えても「Identity」をぴったり訳した日本語はないように思えます。
だから、当時はすぐに単語の意味を理解することはできませんでした。
けれど、今は意味がわかります。
きっとそれは英語としての「Identity」を直接理解したんでしょう。

言葉が増えると、認識できる概念や理解できる物事が増える。
これっておもしろいなぁ。

そういえば最近は、知らない語彙や言葉にあまり出会っていない気がします。
ということは、見えてる世界がずっと同じってことなのか。

僕は外国語がからっきしダメなんです。
コミュニケーションとしての外国語は、精度の高い自動翻訳ツールが生まれることにもはや期待しちゃてます。

けれど、思考を深めたりとか、認識の幅を広げたりとか。
そんな今まで見えなかった世界が見えてくるならば、外国語を学ぶのも楽しそうだなと、思ったのでした。

言葉ってコミュニケーションの道具であると同時に、思考のツールでもあるんですよね。
言葉を増やして、もっと違う世界が見れるようになってみたい。

ウチヤマケンイチ
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