専用の道具であること。

ニッカオフィスのウチヤマケンイチです。

カメラの練習を始めて5日目。なんとか毎日頑張って撮影してます。

カメラに詳しい知り合いの方から、こんなアドバイスを貰ったんです。
「カメラをバッグに入れずに常に首からぶら下げていると機会が増えていいですよ」って。

なので最近は移動している間ずっと首からカメラをぶら下げています。
大きなカメラなので結構たいへんなのですが、でもそうしたほうがやっぱり撮影するものです。

スマホでもきれいな写真は撮れるんですけどね。けれどカメラの方がやっぱり写真を撮りたくなる。
それは画質とかそういうこともさることながら、「専用の道具」であるというのが大きい気がするのです。

ウクレレの練習でもそう。
専用のアンプを買ったのですが、目の前にアンプが置いてあると弾こう、弾きたいって思うんですよね。
実はスマホのアプリにもアンプを再現するものがあってそれも使っているのですが、目の前にどんとアンプが置かれている方が弾きたくなる。

スマホアプリって、ほんと様々な道具に変化してくれる万能ツールです。
もちろん便利なので僕もいろんなアプリのお世話になっていますが、計算するときは電卓をたたき、時間を知りたいときは時計を見たほうが、行為そのものが楽しかったりする。

道具って実用性の他にそれ自体を使う楽しみという面も持っているもの。
理屈や効率だけで選ばずに、使ってて楽しい方を選びたいですね。

ウチヤマ ケンイチ