育ってきた環境が違うから、好き嫌いはイナメナイ。

ニッカオフィスのウチヤマケンイチです。

街のいたる所で見かけるスマートフォンをいじってる人。

下を向いて黙々と小さな画面に向かってるあの姿。
なんか僕は、あの光景が好きじゃないんですよ。
違和感というか、なんだかいやーな感じがするんです。

同じような姿勢でも、本を読んでいたり、大きなタブレットであれば大丈夫。
パソコンを使っている姿は、全く嫌な感じはしません。

なんなんだろう。
まわりを断絶している感じがするのか、はたまた小さな画面を覗き込むあのこじんまりとした感じが嫌なのか。
とにかく、スマートフォンを使っている人の姿を見ると、何だが悲しくなるんです。
けれど、理由はわかりません。

今読んでいる脳科学の本に、こんなことが書いてありました。
「ただなんとなく」の好き嫌いというのは、本人の知らないところで形成されたって。

とある実験の話。
赤ちゃんに白いうさぎのぬいぐるみを近くに置く。
そして、赤ちゃんがぬいぐるみに近寄ると、それと同時にドラの大きな音を聞かせる。

赤ちゃんはぬいぐるみは好きだけれど、大きな音は大嫌い。
何度も繰り返すうちに、最初は好意を寄せていた白いうさぎのぬいぐるみに近寄らなくなってしまうそう。
これを「条件付け」と呼ぶんだって。

ひどい実験ですが、なるほどなーと。
興味深いのは、それから白いうさぎのぬいぐるみに限らず、「似ているもの」まで嫌いになるんだそう。

気づいたらその子は、白くてふわふわしたものが「ただなんとなく」苦手になってる。
後天的につけられた好き嫌いなわけですが、理由は本人にすらわからないわけです。

人には色々な好みや考え方があります。
デザインをしていると、ついその理由を知ろうとしたり、一般論にして話そうとしてしまいがちです。
もちろんそれは大切なんだけれど、そんな風に思いもしない経験が理由になってることもある。

理由のわからない好き嫌い。みんなきっと、そういうものがある。
そして、それはきっとそれまでに歩んできたその人自身。
人生は千差万別。だから好みも千差万別。

それぞれの人が赤ちゃんの頃に嬉しかったり、嫌な思いをしたときに、その近くに何があったかまではわかりません。
あたりまえのことで、それは自分のことであっても分からない。

デザインにはある程度の法則はあります。
けれど、それと同時にそんな個々人の好き嫌いにも影響される。

だから僕ひとりの経験や、勝手な決めつけで推測するなんて、当然不可能だってこと。

スマートフォンをひとりでじっと覗き込む姿に違和感を覚える。
それは僕自身も覚えていない、いつかの経験が関係しているのかもしれません。

デザインをするときは、相手がなぜそれが好きなのか、なぜ嫌いなのかをもちろんしっかり考える。
けれど、そうやって本人すら理由がわからないこともあるってこと。

なんでもかんでも理屈で考えるのではなくて、目の前の人がどう思っているか、どう感じているかを、ただただ受け止める。
そういうことも、同じくらい大切なんだなと。

山崎まさよしもそういえば歌ってたな。
「育ってきた環境が違うから、好き嫌いはイナメナイ」って。

理屈も、理由も、何もわからなくても目の前の人の気持ちを直接理解すれば、答えはきっとあるのだ。

ウチヤマケンイチ
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