効率化の加減。

ニッカオフィスのウチヤマケンイチです。

僕はしょっちゅう、すき家さんに行きます。

事務所の近所にお店があるのでそこによく行くのですが、出先でもついつい入ってしまう。
どこのお店でも当たり外れがなく、同じメニューが食べられるチェーン店の安定感はほんとにすごいと思います。

そんなすき家さんですが、一時期アルバイトが集まらないと話題になってました。
そういえば僕がよく行くお店の店内にも、いつもアルバイト募集の張り紙が貼ってあります。

確かに見ていると、ひっきりなしにお客さんがやってくる。
数少ない店員さんで対応していることも多いし、態度の悪いお客さんもたまに見かけます。
とてもたいへんそうな仕事で、なかなか人が集まらないというのもなんとなく分かるのです。

今日もそんなすき家さんで牛丼を食べていたのですが、ふと厨房の方を見ていたのです。
そして今まで気が付かなかったことを発見しました。

驚きましたよ。いまって、ごはんをしゃもじでよそわないんですね。
味噌汁のように下に器を入れて、ボタンを押すと上からごはんがでてくる。

昔はごはんをしゃもじでよそって、そのあと重さを秤で量っていたと思うのです。
いつから変わったんでしょう。

あれだけ忙しいんだからこうやって自動化して効率をあげることは、仕事の助けにもなるんでしょう。
よそう量を間違えることはないし、どこのお店に行っても同じようなサービスレベルであるのは、こうした機械のおかげでもあるんでしょう。

でも、なんだかね。
それこそ、そこで働く人の介在する部分をどんどん取ってしまってるわけで。

人の手を使ってごはんをよそえば、そこには多かれ少なかれ個性が表れるものです。
おいしくよそうこともできるし、きれいによそうこともできる。
一回で適量をよそえるようになれば、早く提供ができるようになる。

提供するサービスの中に、その人が働いているという意味をもたせられる。
それがボタンを押してごはんが出てくるのでは、なんだろう、そのような部分が抜けてしまう。

効率って、あわせて単調さも持ち合わせています。
僕は飲食店で働いた経験がないので本当のところはわかりませんが、効率化されすぎた場所は何かを失っていると思うのです。

働く場所が、合理的に設計されすぎていて自分が入る余地が少ないこと。
なんかそんなところにも、飲食チェーンの現場で働きたいという人が離れてしまっている理由があるのかなと。
そうなことを考えたのでした。

ウチヤマケンイチ
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