その時なりの意見を持ち続ける。

ニッカオフィスのウチヤマケンイチです。

自分の意見を言ったり、意思を示すというのはなかなか勇気がいるものです。
それが大きなことであれば当然だし、たとえ小さなことであってもそう。
特に周りの人たちに影響のあることについては、ことの大小に限らず意思って持ちづらいもの。

仕事というのは誰かと一緒にやることが多い。
だから仕事での意見や意思というのは、そのほとんどが誰かに影響を与えます。
結果として仕事での意思や意見というのは、自分自身のことに比べるとついつい曖昧になってしまう。

「間違っていたらまずい」と黙ったり。
「まだまだ答えが出せません」と先延ばししたり。

仕事って、そもそもなんですが、短い時間で何かを決めなければならないことがほとんどです。
それは市場の流れとか、他社のスピードか、目標の大きさとか、環境がそうさせている。
だから、満足がいくほど考えきった上で結論を出せることの方が稀で、ほとんどは常に不安がつきまといます。

僕は、不完全ながら意見を持つことを問題だとは思っていません。
問題なのは、誰の意見が間違っていたり不十分だったときにそれを認めないことだと思うんです。

相手だって限られた時間の中で、なんとか結論を出しているわけです。
なのに、間違っていたときに「前と言ってることが違う」とか「まだまだ考えが浅い」と責める。
こんなことが続くと「はっきりとした意思を示さない方がいい」と、みんな自分の意見なんて言わなくなっちゃうと思うんです。
それがさらに悪化すると、どんなに明確なことでも曖昧にしてしまうようになる気がします。

迷惑ってかけるのもかけられるものも嫌なもの。それはそう。
だからと言って、間違わないように曖昧になったりなんでも先延ばしにするのは、それはそれでまずいと思うんですよね。

意思がなければ、物事は進みません。
意思はエネルギーであって、動力であって、スタートになるものだと思ってます。

だから物事を進めるためには、その時点のものでいいから答えを出し続けることが大切だ思うんです。
そして、その意見や判断が間違っていることに気がついたら、後から訂正すればいい。
そして、周りもそれを当たり前のように承諾すればいい。
それが許されるのか、そうでないのかで、スピードや品質はものすごく変わると思うんです。

僕は毎日ブログを書いてます。
短いながらもブログを書くには、なにかしら意見がないと書けないんです。
自分で始めたことながら、そんな風に毎日期限に追われる生活をもう3年ほど続けています。

やってて思うのは時間というのは有限だということ。
自分の意見が完璧にまとまるまで考えていたら、毎日ブログを書き終えるのは無理だと思います。

自分の意見を言うということは同時に責任が発生するでしょう。
けれど、あとから見たときにもし内容が間違っていたとしても、毎日そのときなりの意見を出すことのほうが大事だと思う。

しばらくしたら、もしかするとブログで言ってることが前と変わっているかもしれません。
その時はみなさん、すいません。でもそれは仕方ないしそれで良いと思ってます。

それでも、物事を前に進めるためにはね。
毎日、その時なりの意思や答えは出し続けたいのです。

きちんと考えた結果なら前言撤回も大いに許す。
間違いを決して許さないことは大失敗はしない分、じりじりと弱っていく運命だと思います。

ウチヤマケンイチ
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