部屋も衣替え。
ニッカオフィスのウチヤマケンイチです。
昨日は、衣替えをしました。
今日は、部屋のカーペットを片付けました。
冬向けの起毛したカーペット。あと、その下に敷いていたホットカーペットも。
服だけじゃなくて部屋の衣替えをすると、いよいよ季節が変わったって感じがします。
日本には四季があって、季節が変われば色々と片付けたり、用意をしたり。
面倒ですかね。僕も昔は面倒でした。
でも最近はこうやって手間をかけながら、季節が変わったことを確かめるのが、なんか良いんです。
歳をとったんですかね。歳をとったんでしょう。
昔は服も、寝具も、カーペットも。
そんな物をいちいち入れ替えるのは面倒で、季節が変わっても色んな物を出しっぱなしにしてました。
ただ、それでなにか困ることがあったかと言えば、そこまで困ることもない。
今は、手間がかかるようになりました。でも、暮らしとしては豊かになったんだと思うんです。
なんでもかんでも便利になったオートマチックな家で、一年中同じように快適に過ごす。
それって未来のようではあるけれど、暮らしているというよりは「暮らさせられてる」感じがする。
きっとある程度の不便さ、アナログさが必要なんですよ。
昔から、ふと考えることがあるんです。
人はどこまで暮らしを便利する必要があるんだろうって。
洗濯板を使って、ゴシゴシと洗濯。
いや、それは洗濯機がいいなとか。
井戸水を汲んで、桶で家まで運ぶ。
いや、それも水道があったほうがいいなとか。
薪をくべて、お風呂を沸かす。
いや、やっぱりガス給湯器の方がいいなとか。
感じている不便は、解消したいもの。
そして、一度知ってしまった便利さはどうにも手放せないもの。
でも、どこかで一線を超えてしまうとそれは便利とは違うものになる。
そして、パッケージがされたシステムの中で、ただ生かされてるだけになるような気がするのです。
畑の野菜は水をやり過ぎると腐ってしまうし、水を極限まで与えなかった野菜は逆に甘くなるんだって。
覚えた便利さを手放すのは耐えられないかもしれませんが、やっぱり暮らしに手間は残したい。
ささやかだけれど、季節に応じて額縁の絵を変えるとかね。
そういうところまで気がまわるなら、きっと暮らしはもっともっと楽しいだろうな。
さて、3月も今日で終わり。明日から4月です。
僕は社会人9年目に突入します。
今日で学生も終わりという人、僕の知り合いにもたくさんいますよね。
みなさん、新社会人を楽しんでくださいね。
8年前、僕もそういう心境だったのか。
というか、まだ8年しか働いてなかったのか。
何年目になっても、4月になればいつも新鮮な気持ちで仕事に向き合いたいです。
ウチヤマケンイチ
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