鬼の方の気持ち。
ニッカオフィスのウチヤマケンイチです。
うさぎと亀という童話。
きっとみなさんも知っていると思います。
足の速いうさぎと足の遅い亀が、ゴールをめざして競争をする。
競争の途中、余裕で勝てると思ったうさぎは居眠りをしてしまい、その間も着実に頑張った亀が勝つというストーリー。
この話の教訓は、過信してしまうことの危険さと、努力することの大切さ。それが通説です。
さっきテレビを見ていたとき。
さまぁ〜ずさんがトークの中で、そんな「うさぎと亀」の話の別の解釈をしてました。
もしかしたら、うさぎは亀を待ってあげていたのかもしれない。
もしくは、うさぎは足を怪我していたのかもしれない。
それなのに、うさぎを起こさずに通り過ぎて勝った亀はひどいやつなのかも、って。
番組としておもしろおかしく話しているのでしょうが、でもこれは本当にその通りだなって。
うさぎと亀の話は、実は先に「教訓」が決まってる。
そして、それをどう伝えるかを考えた上で生まれた話のような気がします。
以前、こんな新聞広告が話題になっていました。
広い紙面にぽつりと赤い小さな子ども。
そして子どもの字で書かれた「ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました。」というキャッチコピー。
これ、桃太郎の話を鬼の子どもの立場で解釈したものです。
桃太郎の話といえば、鬼は悪者というのがあたりまえ。
悪者は倒されて当然で、主役はあくまで桃太郎とその家来たち。
だから、鬼側の視点で書かれた桃太郎の話は見たことがありません。
でも、鬼の子どもからすれば、鬼は悪者ではなくてきっと大切な親なんですよね。
そうそう。物語の解釈なんて、いくらでもできる。
これは現実世界の解釈もそうだなと。
一つの出来事に対しても、様々な解釈があるということ。
それは、子どものうちから知っていた方がいいと思うんです。
ちいさな子どもは混乱をしてしまうかもしれないけれど、でも、少なくとも「真実は1つ」だと伝えるのは危ない。
人として大切な部分とか生きるのに必要な能力って、本当はそんなところにあると思うんです。
本当に自分のことを知りたいとき。
そのときは意識を自分に向けるのではなく、むしろたくさんの人たちと会い、話し、語らうことが大切だそう。
海外に行って日本のことがよくわかったという話、良いと聞きます。
人って相対関係の中で自分を決めているんでしょうね。だからこそ、人を見ないと自分が見えない。
自分のことはもちろん、相手のことまで分かっていること。
見る向きを変えれば、善悪なんてまるで変わることを、ちゃんと知っておかないと。
ウチヤマケンイチ
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