おおらかな人。

ニッカオフィスのウチヤマケンイチです。

昨夜、久しぶりにぎゅうぎゅうの満員電車に乗りました。

何度もここに書いていますが、僕は満員電車が大の苦手なんです。
けれど昨日は楽しい結婚パーティの帰りで気分が良かったのでしょうか。
なぜかいつもよりも落ち着いてその満員電車の状況を眺めることができたのです。

その時思ったこと。
それは、ぎゅうぎゅうの満員電車に乗ること自体は、別に身体が痛いわけでもないし、耐えられないことではないということ。
女性や子どもとかであればまた話は違うかもしれません。
僕にとっても、蒸し暑いとか、体勢が多少苦しいとか、あとは満員の度合いというのはありますが、それもそこまでの話じゃない。

そんな物理的なことよりも、その状況をとらえている自分の感情の方が大きく影響してるなって。

例えば。
目の前の人が吊り革も持たずもたれかかってきていて、その態度にイライラしたりとか。
逆に自分が相手にもたれかかっているときに、怒られないかハラハラしたりとか。
はたまた、そもそも乗りたくない満員電車に仕事に行くために乗らなければならないという状況にイライラしたりとか。
それらってどれも物理的に直接不快なんじゃなくて、解釈した結果の話。全部、感情の話なんですよね。

たしかに、同じぎゅうぎゅうでも、ライブやクラブであれば好んで行く人がいる。
子どもの頃は、おしくらまんじゅうをして遊んだりもした。
物理的には同じような混み具合であっても、人って感じ方が全然違うなって。

僕にとっては、満員電車の不快感は物理的なことよりももっと気持ちの面が大きかったんだと。
感情というのは実際に起きていることとか、起こった被害だけじゃなくて、先読みをしたり、勝手に感じ取ることにも支配されているんですね。

だったら、自分さえその状況を気にしなければ、環境が一切替わらなくても意外と大丈夫なんじゃないかって。
前に、電車の中で目をつむるのはいいのかもと書いたことがありました。
そうやって、そもそも自分が感じないようにすることも1つ。

そして、きっともっと強いのは目を開けていたって余裕で受け止めらえる自分になることかなと。

問題は世の中にはたくさんあるし、その解決方法もたくさんなる。
その中でも、自分が気にしないというのはかなりの特効薬だなと。

世の中にはイライラしがちな人がいる一方で、おおらかな人もいます。
僕は前者なのですが、今回ちょっとだけおおらかな人の世の中の見え方が出来た気がします。

たいていのことは、気にもしない。
余裕のある、おおらかな人になりたいです。

ウチヤマケンイチ
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