事実はどこにあるのか。

ニッカオフィスのウチヤマケンイチです。

事実がどこにあるのか、わからなくなる時があります。

これまでも何度か、事実ってなんだろうとここに書いてきたけれど。
ずっと考えているけれど、やっぱりまだまだわからない。

もしかすると「物質的な存在」なんてものは事実とはほとんど関係ないんじゃないかと。
事実というのは、ただただ人の認識が生み出しているものなのかも、とすら思ってしまうこともある。

プラシーボ効果。
本当は薬じゃないものなのに、その人が薬だと思い込んで服用すると実際に効いてしまうというやつ。

病は気から。
実際は病気じゃないのに自分は病気だと思っていたら、本当に調子が悪くなってしまうというやつ。

これってどちらも実際に起こっている現象。
そうやって、気持ちの部分が現実で起こることすらも逆転させる。
人の感情って、不思議なもんだなと。

例えば物を買うとき。

買った理由を考えたら「安かったから」だとする。
でも他にもっと安い店はあっても、それを知らなければその事実はないものと同じ。
実はそんな店がたくさんあったら、実はその「安かった店」は「高い店」なのかもしれない。
だから正確に言えば「自分の知ってる範囲で、自分が安いと思ったから」買ったということ。

もし、買った理由は「おしゃれだったから」だとする。
こっちはもっとわかりやすくて、事実は必ずしもそうとは限らない。
人によってはダサいと思うかもしれないし、もっとおしゃれな他の商品を知れば結果的にダサいともなりうる。
こちらも正しくは「自分の知ってる範囲で、自分がおしゃれだと思ったから」買ったわけ。

結局、人が考える事実というのはあくまでその人の中の事実。
そこには物質的な事実がどうであるかって、ほとんど関係ないのかもしれない。
事実というのは、その人の中にしかありえない。そしてそれしか認知はできない。

「我思う、故に我あり」って言葉。

前から聞いたことはあったけれど、あれって今僕が考えていることのひとつのヒントを示してくれているのかな。
調べてみたらデカルトって人の言葉でした。デカルト、すごい。

そうなると相田みつをさんが言ってた「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」というのも納得です。
相田みつを、すごい。

もしかすると気持ちを切り替えるというのは、この世界を変えるための特効薬なのかもな。
それは気休めや錯覚なんかじゃない。

本当に事実すらもも変えてしまう、特効薬。

ウチヤマケンイチ
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