自分でタイムリミットを決める。
ニッカオフィスのウチヤマケンイチです。
他人ではなく、自分でタイムリミットを決める。
これ、すごく重要なことだと思っています。
でもこれって、なかなか出来ないことでもある。
例えば、いま目の前に取り組んでいる仕事があるとする。
それがなんともうまくいかなかったとき。
そんなとき、もしその仕事の締め切りを他の誰かが決めているならば、多くの場合それに従うと思うのです。
つまりは、まだ完璧ではないもののひとまず仕事に区切りをつけて納品する。
ただ、これが誰からも納期を決められていないとき。
そういうとき、人はそこに明確なタイムリミットを設けずに、頑張れるところまで頑張ってしまいがち。
囲碁棋士の張栩さんの本を読んだ時の話。
張栩さんは、現在の棋士の中で最強とも言われている方で、その本にはこんなことが書かれていました。
中国や韓国の棋士は、持ち時間を残したままに負けてしまうことが多いそうです。
一方で、日本の棋士は同じ負けるにしても、持ち時間をしっかりと使った上で負けることが多いそう。
一見すると、日本の棋士の方が勝ちにこだわっているように見えます。
でも現在、囲碁の世界ではランキングの上位を占めるのはほとんど中国と韓国の棋士だそうです。
それは真の意味で勝ちにこだわっているのは、実は時間を残して負けている中国、韓国勢だからだと思うのです。
対局を開始した直後は、持ち時間というのは実力に関係なく皆平等です。
それは一流のプロでも、小学生でも一緒。
その中で、前半に時間をたくさん使ってしまえば、当然後半の持ち時間には差が出てしまいます。
そしてその後半に時間がなくなれば、いくら前半に頑張ったとしても結局、最後には負けてしまうと思うんです。
だから、後半に時間を使いたいのであれば、前半はスピードを上げながら攻める。
まだまだ持ち時間があったとしても、自分でタイムリミットを決めてそこまでには手を打っていくわけです。
もし、その戦略をとった上で、前半に勝負どころがあって負けてしまったのであれば、それは仕方のないことだと思うのです。
それこそが「戦略」であり、「勝負」であると思うんですよね。
決して手を抜いているわけではない。
当然、時間を残したままに負けてしまっても、中国や韓国の棋士の感覚では、それは恥ずかしいことではないそうです。
一方で、日本囲碁界には、まだまだ「持ち時間を残して負けると恥ずかしい」という風潮があるそう。
たしかに日本の感覚も分かります。
時間を残して負けてしまうなんて、最後まで諦めずに努力していないじゃないかと。
この考え方はものすごく日本的というか、努力に対する美意識だなと。
それが「人の生き方」としてならば、僕は否定するつもりはありません。たしかに一生懸命は美しい。
けれど、もし仕事の「品質」とか「勝率」を高めるという意味ならば、僕は中国や韓国のスタイルを支持します。
僕は「時間をかける」は最後の手段だと思っています。
時間こそがすべての始まりというか、原資というか、逆に時間があればなんでも出来る。
むつかしい仕事だったり、たくさんの仕事に取り組むとき、労働時間というのは長くなるものです。
これはよくある話で、なんだか当たり前のようにも思える。
でもそこに落とし穴があるなって。
時間というのは有限なんですよね。それは対局で言う、持ち時間と同じ。
だから、目の前の仕事に充てる時間を増やしたということは、別のことに使う時間を減らしているということ。
それは後半の時間を失っていることならば、実は敗北に近づいているのかもしれない。
もちろん、その瞬間だけを切り取って見れば、「勝ちにこだわっている」ように見えるんですけどね。
忙しい時、うまくいかない時。
それに引っ張られて、目の前のことに時間をかけてしまう。
そこで失っているものは人によって違うでしょう。
後半の時間なのか、別の仕事なのか、もしくは寝る時間なのか、家族と過ごす時間なのか。
時間を使って頑張ることは分かりやすくて、正義になりがちです。
でももしかしたらそんな正義のせいで、皮肉なことに真の目的からは遠ざかっているかもしれない。
ただ、本当に勝ちにこだわるなら、きちんとタイムリミットを守りたい。
たとえ、もし今がうまくいってないとしても。
たまに「時間が無限にあったらな」なんて、ありもしないことを思ったりします。
でも、そんな事はありえなくて、やっぱり時間は有限なのです。
さて、今日は金曜日。
今週もいろいろとやることはあったけれど、自分が決めたタイムリミットは守るのです。
そして少しでもこぼさないように、もっと自分が速くならなきゃな。
ウチヤマ ケンイチ
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