いつリンゴの実は落ちるのか。

ニッカオフィスのウチヤマケンイチです。

先日ネットで見て、ハッとしたこと。

リンゴの実が落ちる時期というのはだいたい分かってる。
そして、よく観察をしていればもうすぐ落ちるということも分かる。
けれど、その実が落ちる瞬間がいつであるかは、誰にもわからない。

これはたしかにそう。
昨日、統計データの話をしたけれど、全体の大きな流れとか、これまでの傾向っていうのは今の世の中だいたいのことが分かってる。
けれど、ある個体がどうであるのかは、実はほとんど分かってないなって。

桜の木の、とあるつぼみが開くタイミングもそうだし、年頃を迎えた誰かが結婚をするタイミングもそう。
だいたいの傾向はあっても、ひとつひとつの事象については、ほとんど予測ができない。

逆に、1つ1つのことは分からなくても、全体としての傾向というのはなぜか分かるんだから不思議。
人が何かのことを理解しているとき、それは個の集合として理解するんじゃななくて、きっと「特定のどれでもない何か」について、それっぽく理解してるだけなんだろうな。

サービスを生み出すときも、「こういうとき、お客さんは」とそれっぽくお客さんのことを語るときがある。
そのときに、1人でも具体的な顔が見えているか見えていないかの違いは大きい。

春になって、「そろそろ桜が咲く」と思えるのは普通のこと。
けれど、その日の暖かさを自分の肌で感じて「あの公園の桜の木は日当たりがいいから、今日あたり咲いてそうだ」と、言えるかの違いはものすごく大きい。

そのリンゴが落ちる瞬間が人間にはどうやってもわからなくたって、「秋になった頃に落ちるよね」とたったそれだけの知識で知ったつもりになるのは良くないなと。

個別の予測というのが突然むつかしくなるからこそ、効率は悪くてもそこに挑戦しなくては。
その挑戦を忘れたら、本当に良いサービスはつくれないよなと。

そんなことを考えるのでした。

ウチヤマ ケンイチ