専門家の意見はマイノリティなことが多い。

ニッカオフィスのウチヤマケンイチです。

賢いデザイナーたちが、こぞってオリンピックのロゴ案を叩いてた。
もっと日本のデザインの教育をしないと、酷いデザインが「良いデザイン」とされてしまうって。

言いたいことはわかる。
デザインのセオリーや、基本を守っていないのに、なんかの拍子に世の中に評価されるデザインは多い。
それは見識がある者からすると、「いやー、分かってませんね」となる。

僕も学生時代、デザインを学んでいました。
本来であればデザイン事務所に就職するところなのですが、僕はあえてリクルートを選びました。

リクルートは当時からメジャーなメディアをたくさんつくっていたんです。
デザインを学んでいる学生からすれば、それらメディアのデザインは決してかっこいいとは言えないのに。
リクナビにしても、じゃらんにしても、ゼクシィにしても。

でも現実に、マーケットからの支持がある。
そこにはきっと様々な理由があるはずで、その理由を知りたかったんです。

J-POPなんかダサいと、音楽家は言う。建売住宅なんかダサいと、建築家は言う。
たいてい、どの世界にも専門家と大衆の間には溝があるんですよね。関係者には評価の高いと言われるお笑い芸人さんもいるし。

ただ、不思議なことに専門家が支持する「本物」というのは、たいていメジャーにはなれない。
オーバースペックなのか、こだわりすぎなのか、どちらにせよ専門家の意見はマイノリティなことが多いのです。

オリンピックのロゴは専門家の中の評価よりも、大衆に受けた方がよっぽど価値がある。
専門家にしか分からない評価をするなら、オリンピックのロゴではなくて、ロゴのオリンピックを開催して知見を競っていればいいと思うのです。

マーケットの価値観を受け入れなかったり、自分の価値観を押し付けること。
それをやってしまったら、もはやそれはデザイナーではなくてアーティストだと、そう思うのでした。

ウチヤマ ケンイチ