令和元年9月9日に考えたこと

アンデスのトマト

ニッカオフィスのウチヤマケンイチです。

トレーニングの動画を観ていたら、人間の身体が野菜のメカニズムに例えられていました。

野菜と言うのは厳しい環境で育てられると、甘味が増して栄養価も高くなるんだとか。
たとえば、アンデス山脈のトマトなんかは干からびた大地で育つことで、根はびっしりと張り巡らされ、少しでも水があれば吸収してやろうと、強く育つんだそう。
人間の身体も同じで、減量期を経てトレーニングをすると一気に筋肉が成長するそうです。

こんなふうに枯渇してる状態が良い方向に働くのは、なにも人の「身体」だけではなくて、知識とか、時間の使い方なんかも同じなのかもしれません。
真っ先に思い出したのは、仕事が忙しいかった頃の方が仕事以外の時間が充実してたかも、ということ。

たとえば若手の頃、遅く帰宅してからのわずかな時間でなんとか自分の時間を楽しんだものでした。時間あたりの密度は相当に高かった。

これがある程度時間に余裕ができてからは途端に密度が薄まってしまった気がするのです。
時間が足りない状態と時間に余裕がある状態。どっちの方が自分の時間が充実していたかというと、皮肉にも時間が足りない方だったかもしれない。

知識もそう。情報が少なければ、わずかな情報でも懸命に吸収しようとして結果として身につきやすいものです。
枯渇の状態を生み出すこと。それにはある程度、今持っているものを手放さないとならないのかもね。

ウチヤマ ケンイチ