令和元年12月12日に考えたこと

何でもいいよ、というやつ

ニッカオフィスのウチヤマケンイチです。

実家に住んでいた頃の話。晩ごはんは何にしようと聞かれたら、きまって「何でもいいよ」と答えてました。
実際のところ、食事にはあまりこだわりもなく本当に何でもよかったのです。

ただこの「何でもいいよ」は、一見すると相手に優しいようでいて、実はその真逆だよなと最近思うのです。

仕事にしてもプライベートにしても、「決める」ということこそ、とても大変な役割だったりする。
決める前に考えることや、整理をすることの方が実際には時間がかかるし、決めることそのものは行為としては一瞬。
だけれども、なにより決めることには責任が伴うし、一瞬の間にすごくたくさんの物事を考慮することになる。

たとえば、飲み会の店を決めるのも、旅のプランを決めるのもそう。
希望を聞かれるとつい「何でもいいよ」と、さも寛大に、相手に選択権を与えてるかのような気分になってるけど、でも待てよと。
相手に選択権を与えているどころか、それって「決めるという仕事」を相手に押し付けてるんだよね。

今になって、晩ごはんの献立に何でもいいよと、考えることに協力しなかったことを反省してます。
毎日の献立を決めるのって、あれは相当に大変だっただろうな。

最近は仕事でもプライベートでも、なるべく決める部分は率先してやるように意識しています。
とはいえ相手から選択権を奪うことも良くない。そのバランスがとってもむつかしいだよな。

ウチヤマ ケンイチ