令和2年3月10日に考えたこと

どんどん世の中の批判力が磨かれている気がする

ニッカオフィスのウチヤマケンイチです。

最近、ネットを見ていると批判ばかりが目につくのです。昔からこんなだったかなあ。

今日見た批判は、高輪ゲートウェイ駅の駅看板に使われた書体について。
明朝体という筆で書いたような書体が使われていたのですが、それがダサいと批判が集まっているようなのです。

そのデザインをどう感じるかは各々の自由ですが、それをわざわざネットに書く必要ってあるのか。
批判が集まれば有効な民意になるかといえばそんなことはなくて、それよりもそこから広がる心地悪さの方が、最近は上回ってる気がするのです。

批判に触れる機会が増えたこと。そして、批判することが自分の見識を誇示するのに手っ取り早い方法であること。
そのせいで、どんどん世の中の批判力が磨かれている気がするんです。
たとえば、政府の対応とか、今回みたいな公共物のデザインとか、あとオリンピックとかも格好の的。

だって駅の看板に使われる書体なんて、みんなそこまで興味ないでしょう。
それなのに批判するスキルがやたらと磨かれてしまってるものだから、反射的に「これは違う」「これはいかがなものか」と批判してしまう。
言いっぱなしの批判って害はあるけど、価値はほとんどないんだよね。

他の人が話題にしなければ、批判してなかった人が大半だと思うのです。
便乗する程度の批判なら別にしなくてもいいことだと思う。でもこれって、意識しないと直らないよね。

ウチヤマ ケンイチ