令和2年6月16日に考えたこと

科学的とは言えなくても合理的なこと

ニッカオフィスのウチヤマケンイチです。

願掛けや神頼み。こういうものは科学的とは言えないと思うのですが、では合理的でもないのかと言うとそんなことはないと思うのです。

だって、お祈りをすることは自分自身や周りの人たちに直接的に作用するから。
最後にできることが願掛けや神にも頼ることであれば、それをするだけで気持ちはちょっと楽になるかもしれない。

神様に頼ってまで何かを頑張っている人を見かければ、周りの人は手助けしたくなるかもしれない。
たとえば、スポーツ競技の前なんかにお祈りをしてる人がいますが、やっぱり応援したくなるものです。

僕は理系出身で昔は非科学的なことは苦手でした。でも大人になるにつれて、そもそも科学というものこそ曖昧な存在だと思うようになりました。
世の中のほとんどのことは実は曖昧で、よく分かっていないことだと思うのです。つまりはすべてのことが科学できているわけじゃない。
すべてのことが科学的に証明できているのであれば、もちろん科学は正しいんですけどね。

そういえば、好きな曲の歌詞に「科学は正しいと言う迷信の風で育った」というのがありました。
科学が迷信なのかはさておき、少なくとも「科学で証明できないなら正しくない」というのは、それはちょっと違う気がします。

僕は宇宙人もいると思ってるし、超能力だってあってもおかしくないと思ってます。
ただ僕自身が見たことがなく、証明できないだけの話。

ウチヤマ ケンイチ