令和3年6月15日に考えたこと

結局、昔も今も幸せの総量は変わってない

ニッカオフィスのウチヤマケンイチです。

昔、テレビで一青窈さんの歌声のキーを下げると平井堅さんが歌っているように聞こえるというのがありました。
たしかにどう聞いても平井堅さんの声で驚いたのを覚えています。

であれば逆に平井堅さんの歌声のキーを上げるとどうなるんだろうと試したくなり、曲のキーを変えることができるアプリを探してみたんです。
すると、すぐにキーやピッチを変えられるアプリが見つかりました。ほんと今って探せばなんでもあります。

早速試してみると、これが逆でもしっかり成り立っていたんです。平井堅さんの曲なのにどう聞いても一青窈さんの声。
これはもしや他のアーティストでもいけるんじゃないかと試してみたら、予想通りいくつかのアーティストが他のアーティストに聞こえました。

当時はテレビを見てもすぐに他の曲で試すことはできなかったけれど、今はそれがすぐにできる。
そのせいなのか、「このアーティストの声がこのアーティストに変わる!」と発見しても、昔テレビで見た時ほどの感動はありませんでした。

そう考えるとやっぱり物事の価値には、そのものが持つ価値だけでなく、手に入らないからこそ欲しいというのがあると思うのです。

なんでも簡単にできるようになると単純にそれだけ幸せになったわけではなく、便利な現代であれば、その中で際立つ必要があるということ。
結局、昔も今も幸せの総量は変わってないんだと思うのでした。

ウチヤマケンイチ