令和3年8月8日に考えたこと

必要な建前っていうのもあると思うんですよね

ニッカオフィスのウチヤマケンイチです。

オリンピックの開会式を観ようと数年ぶりにテレビをつけたとき、テレビの中の雰囲気に懐かしさと、そして居心地の良さを感じました。
最近はネットを見るたびに批判や否定的なコメント、文句ばかりがどうも目につくのです。

テレビの中もネットの中も同じ人間が作ってるはずなのに、メディアが違うとこうも雰囲気が変わるのかと不思議な気持ちになります。
雰囲気の差はそこにいる人やその人たちの考え方の差というよりも、匿名性と発信者の立場の違いが大きいように思うのです。

テレビは誰でも出られるわけではないし制作者も限られる。そうなるとそれぞれに看板を背負って発信するわけで、そこには建前や見られ方を意識したポジショントークもあると思うのです。
一方、ネットは匿名性が強く、そして誰でも発信できる。そうなるとテレビとは違ってむき出しの本音や、顔の見える場では言わないようなことが言えてしまうと思うのです。

建前の意見と本音の意見。そのどちらを言えるのが大事かといえばそれは本音なのでしょうが、最近僕が感じるネットの雰囲気は人とのコミュニケーションではなく、ただただ言いたいことを吐き出してる非生産的な場に見えるのです。

必要な建前っていうのもあると思うんですよね。本音は違くたって、建前でポジティブな発言をすることで場が安定するというか。
ある程度の不自由さや綺麗事も必要なのかもしれないよ。

ウチヤマケンイチ