令和4年1月25日に考えたこと

形を形のまま、非言語を非言語のまま理解する

ニッカオフィスのウチヤマケンイチです。

デッサンをするとき、先生から教わったことや自分が思ったことはメモで残すようにしています。
仕事でもそうしているので、同じようにやってきたのです。

ただデッサンの場合は難しいことがあって、それは「形そのもの」をメモすること。
たとえば、「この石膏像は眉間が出ていて、耳は頬骨よりもへこんでる」と文字にしてみるのですが、それだと理解が曖昧で、記憶にも残りづらいのです。
文字だけでなく一緒に写真も撮るのですが、それでも立体物の理解をそのまま留めておくのはかなり難しい。

ということで昨日、粘土を取り入れてみました。
自分で同じ形を作ってみれば指先で形を理解できるんじゃないかと思ったのです。粘土なんて小学校以来かも。

ビジネスでは「言語化すること」が求められがち。そうすることで人にも伝えやすいし、おかしな部分も見つけやすい。ナレッジとして他の人が再現しやすかったりもします。
ただそんな習慣のせいで、とにかくなんでもかんでも言葉にしようとしていたことに気付いたのでした。

いざ粘土で形を真似してみて思ったのは、形を形のまま、非言語を非言語のまま理解するというのは、むしろ自然なことなんじゃないかということ。
これまでとはまったく違う感覚を使って理解も記憶もするわけですが、とてもしっくりきたのでした。

そういえば、ワインのソムリエって味を言葉にしてるのよね。あれってすごいわ。

ウチヤマケンイチ