良い議論をしよう。
ニッカオフィスのウチヤマケンイチです。
人との議論。
議論といえば聞こえはいいけど、ときには言い合いみたいなこともある。
例えば、人生の歩み方とか、組織の方向性とか、子育ての方針とか。
あ、僕は子育てはしたことはないけれど。
もちろん、仕事での議論はよくあること。
対立する意見をぶつけたり、ずれてる意見を擦り合わせたり。
それは、ものすごくパワーを使うこと。
出来ることなら、同じ方向を向いた人たちと穏便に事を進めたいもの。
調和を大切にする日本人。きっと多くの人が、そう思ったことがあるはず。
ただ、この議論というか、言い合いというか。
これはしんどいと同時に、すごく恵まれていることだなとも思うのです。
議論って、まるで言葉を使った格闘技。
拳ではなく、言葉を使った勝負。
格闘技って、相手との実力が拮抗しているほど、いい試合になるんですよね。
一方で、実力差がありすぎたり、相手のことを尊重していなかったりすると、勝負として成り立たない。
これは議論でも全く同じだなって。
そのテーマに対して、同じくらいの熱量で、同じくらい大切に思っていて、同じくらい譲れないとか。
そのうえで、相手の言っていることを尊重して、自分の意見が正しいかを考えたりとか。
そして、そもそも同じ言語が話すとか。
そうやって、いろんな条件が揃っているからこそ議論が生まれる。
たとえそれが、言い合いとか喧嘩みたいなものでも。
そうじゃなければ、そもそも相手にしないとか、一方が逃げ出してしまったりとかしてしまうよ。
そう。赤ちゃんとは議論できない。
動物の場合は、相手に寄り添おうとはせず、逃げたり、相手を噛み殺して終わり。
そうはならないんだから、人って高度な生き物だ。
議論が格闘技と違うのは、「相手を負かすこと」がすべてじゃないってこと。
そういう意味では、勝ち負けが絶対の格闘技と言うよりも、一緒に良い試合をつくりだすプロレスに近いのかも。
あ、プロレスや格闘技に馴染みがない人には、よくわからないか。
まぁ、とにかく議論というのは、相手を選ぶのです。
良い議論は、疲れるし、しんどい。
だとしても、議論が成り立っていること自体が奇跡的で、恵まれていること。
くたくたになって、議論し合って。
そして試合を終えれば、きっとお互いの実力も上がっていて、そしていい試合であれば評価もされる。
そんな議論の中から、新しい考え方を見つけたり、お互いの意見を擦り合わせて第三の意見を見つけたりもできる。
仕事でも、プライベートでも、もっと誰かと議論したいな。
そんでもって、その環境を楽しみたい。
そんなことを、ふと思うのでした。
なんだか最近、前に比べると良い議論をしてないような気がする。
いかんいかん。これからもバシバシ戦っていくぜ。
ウチヤマケンイチ
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