意識的に自分の考えを崩す。

ニッカオフィスのウチヤマケンイチです。

自分が信じていること。
それって、その時点では事実よりも強い。

信じている状態のときに、もし現実がそれと違っていたら。
そうしたらまず、現実の方を疑うと思うんですよね。

そこで自分の考えを改めたり、修正をする。
そうやって自分の考えを更新していくわけですが、少なくとも自分が信じている間は、信じていることこそ事実。
事実よりも、事実。

先日、キャリアカウンセラーの方に相談をするという機会をもらいました。
これまでも上司に相談したり、友人と将来について語り合ったりすることはあった。
けれど、プロのキャリアカウンセラーと話をしたのは初めてです。

僕はこれまでキャリアにしてもなににしても、自分が信じている選択をしてきました。
いやそれってたぶん僕だけじゃなくて、ほとんどの人は誰も自分が信じていることでしか動けないと思うのですが。

けれど信じてたことと現実が異なっているときに、どれだけきちんと物事を見つめて、自分の考えを修正できるか。
それが、その人の幅の広さというか、視野の広さだと思います。懐の深さとも言えるかも。
そして、おそらく僕はその許容度が少ないのです。

テレビのドキュメンタリーやニュースなんかで、洗脳をされている人を目にする。
すると普通の人からすれば、なぜそこから抜け出せないのかと不思議に感じると思うのです。
けれど、僕らだって程度の差はあれど、自分が信じる世界に縛られていると思うのです。

もしそこから抜け出せないことが一般的に危険と言われたり、病的と判断されなければ、その人のことを誰も変えてはくれない。
そして、ずっとその枠の中で生きてくことになる。

僕は、ふと自分の信じていることが全くもって間違えているんじゃないかって。
そんなことを考えることががあるんです。
全く僕が見えていない世界が、実は広がっていて、自分はそれに気付いてないだけなんじゃないかって。

いや、ふと考えているというよりは、強制的に考えるようにしてる。
僕は思い込みとか、自分の考えに固執するタイプだと、自分で思っています。
だからこそ、意識的に自分の考えていることを疑わないと、どんどん自分で自分を洗脳することになるという怖さがあるんです。

それをどう解消するか。
ひとつの方法として、普段と違う環境や状況に身を置くというのがあるのかなと。
慣れない環境って、自分の意思とは関係なく強制的に普段とは違う視点でものを見ざるをえなくなるから。

よく「自分探しで旅行にいく」なんて、聞いたことがあります。
たしかに旅というのは非日常だし、強制的に真実に気付けるというのはあると思います。
特にインドに旅行に行った後に、考えが変わったって友だちは周りに多いなぁ。

初対面のキャリアカウンセラーの方と話をする。
非日常の体験としては控えめなことかもしれませんが、その機会で僕は自分の考えを客観的に見てもらう場にしました。

30歳を過ぎて仕事の経験を積めば積むほど、人は自分の考えに固執していくそうです。
小さいながら、みんな成功も失敗も重ねていきますしね。

意識的に自分の考えを崩す。
ちゃんと意識して、続けていきたいです。

ウチヤマ ケンイチ
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