「型化した」と「型にはまった」の違い。

ニッカオフィスのウチヤマケンイチです。

僕はディレクターのお仕事のほかに、講義の依頼をいただくことがあります。

講義の内容はデザインに関することだったり、仕事の進め方に関することだったり様々です。
そんな中で、共通してオーダーされることがあります。
それは「すぐに効果が出るように、やり方や考え方を”型化”して皆に展開してほしい」ということです。

要は、すぐに実践に移せるように複雑なやり方や考え方をパターン化した行動レベルにまで落として欲しいと。
「こういう時は、これをやる」というようなマニュアルのイメージです。

今まで目に見えなかったやり方を目に見える資料やツールに落としこむ。
そしてそれを多くの人にばらまけば、組織を広く強化したように見えます。実に手っ取り早い方法です。

気持ちは分かるのですが、ただそれは難しい部分もたくさんある。
なんとなくそれっぽい講義はできるのですが、そうすると本当に大切な部分がほとんど身になりません。
老子のこんな言葉をご存知でしょうか。

「授人以魚 不如授人以漁」

訳すと、「魚を与えるより、釣り方を教えよ」と言った意味らしいのですが、これはその通りだと思います。
せっかく与えるのであれば、食べたらなくなってしまう魚ではなくて、釣り方を教えてあげたいのです。

でもたいてい依頼をしてくる側は魚を与えてくれと言う。
釣り方を教えても、いつ釣れるようになるかはわかりませんからね。
魚を与えたほうが確実におなかを満たせるて、手っ取り早い。効果もわかりやすい。
結局、たいていは適度に魚を渡しつつ、釣り方をお伝えするようにしています。

型化をして展開をする。それはなんだか魔法のように語られることがあります。
ナレッジシェア。そんな横文字も良く使われてますよね。僕は嫌いな言葉ですが。

それまで目に見えなかったやり方や考え方を「型化」し、他の人にも展開すること。
それはもちろん悪いことではなくて、それこそが他の動物と人間の違いだとも思います。
知識や知恵を時代も個体も超えて皆で分かち合えるのは、人類の歴史そのもの。

ただ、ツール自体を万能薬のように欲しがって、頭を使わない人がただ型化されたやりかたを覚えてしまう。
そうすると、教える以前よりも具合の悪いことが起こってしまうんです。「型にはまって」しまうんですよね。

僕は運動があまり得意ではありません。
学生の頃にバスケットボールの試合で、周囲の状況がどうであれいつも同じ攻撃をしていた時にコーチにこう言われました。

「馬鹿のひとつ覚えか」と。

子どもにはなかなか強烈な言葉でしたが、確かにその通りだなと思いました。
下手に方法だけ知ってしまったから、考えることなくそればっかりやってしまったのでした。

型化と展開がうまくいけばチームは強くなります。強い組織がつくれるでしょう。
でもそれは、あくまでも各々のメンバーががきちんと自分で内容まで理解しようとした時です。
それをせずにツールだけをただ持ってしまったら「型にはまった」人ばかりになり、むしろ組織を悪くしてしまう。
短期的には効果が出ることもあるのが、また厄介なのですが。

素晴らしいと思った人の知識や知恵は、ありがたく頂戴すれば良いと思ってます。
ただ、それを他人の物のままずっと使っていくのではなくて、どこかできちんと自分自身のものにしないとですね。

子どもに下手な武器を渡してしまうのは、手ぶらであるよりよっぽど危険です。

ウチヤマケンイチ
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