被災地、福島県南相馬市に行って感じたこと。
前のブログに書いたとおり、ちょうど一週間前の週末に被災地である福島県南相馬市に行ってきました。
向かったエリアは福島第一原発およそ25km。
津波の被害も大きいですが、それに加えて放射能による健康被害、風評被害も大きいエリアになります。
金曜の深夜に車で東京を出発、現地には土曜の早朝に到着しました。
車内で仮眠をとった後、朝から夕方までボランティア活動を行い、その夜に現地を出発。
日が変わった日曜の深夜に東京に戻ってくるという、非常にタイトなスケジュールでした。
時間にしてちょうど丸一日くらい。
非常に短い時間だったのですが、現地に自ら出向くことでテレビでは分からない、そして感じられないことをたくさん感じました。
ここに記しておきます。
現地で見たこと。感じたこと。
現地では、普通の会話の中で自分はもう被爆した話しているおじさんがいました。
行くまでには、村人が避難しゴーストタウンのようになってしまった村がありました。
銭湯では、番頭さんとお客さんが行方不明だった知人が昨日遺体で見つかった話をしていました。
講演会では、専門家に日常生活をどのように過ごせば良いのかを質問するおばあさんがいました。
自分の子供から自分よりも多いセシウムが検出されたと話すお母さんがいました。
外からボランティアが来ると自分らも頑張らなくてはならなく来ないで欲しい時もあるという話も聞きました。
町で子供はほとんど見かけませんでした。
10名ほどのチームの中に外国人のボランティアの方が2名もいました。
普通に町をランニングしているおじさんもいました。
コンビニは普通に営業していました。
また自分自身の心境にも変化がありました。
行きの車。現地に向かう途中、計画的避難区域に指定されている飯館村を通った際に恐怖や不安を覚えました。
しかし現地で作業を終えて帰宅する頃には雨に多少うたれてもさほど気にならなくなっていました。最後は慣れてしまったのでしょうか。
また、福島第一原発に近い現地に出向いたことで、多少なりとも放射能を多く浴びたことで他者からの見られ方も気になりました。
当日、現地から東京へ帰ってくる前にはしっかりと銭湯に入り、洋服も着替えてきたのですが、関東に帰ってきた際にその身体で皆と接して良いのか、周りに迷惑をかけてしまうのではないか、と不安になったのです。
おそらく現地の人たちの中にも、ご自身が大変な状況にもかかわらず外へ非難する際に自身が加害者になってしまうのでは、と考えている方もいるのではないでしょうか。実際に被災地の人間に対して偏見やいじめがあるそうです。
すべての恐怖や不安の元は、無知であることということも痛感しました。
今回、現地に何度か出向いている友人と一緒ということもあり、現地のことも放射能のこともよく知らないままに現地に行ったことが恐怖や不安の、大きな原因だったと思います。反省しています。
まだ、すべてのことを整理しきれているわけではありませんが、この体験も踏まえて引き続き福島復興プロジェクトのCDのアートワークを進めたいと思います。
以下、当日の写真を一部抜粋して載せておきます。
ウチヤマ ケンイチ