元号も学校もない世界。

ニッカオフィスのウチヤマケンイチです。

再来年の春に元号が変わるんだとか。
慣れ親しんだ平成のあとは、一体なにになるんでしょうかねぇ。

いまでも「昭和」という言葉は、古いことを表す代名詞みたいになってます。
それが再来年には、前の、そのまた前の元号になっちゃうなんて。
僕らでいうところの明治にあたるわけか。僕らはますます古い人間になってしまうわけだ。

本来はシームレスなはずの時間という軸に、こうやって区切りをつける。するとそこに「世代」というものが生まれる。
元号だけじゃなくて、小学生、中学生、高校生とステータスが変わっていくこととか、二十代、三十代、四十代と年代が変わってくこととかもそう。

もちろんそれは自分が今どこにいるのかを知るために便利な基準にはなる。そんな括りがいないと、普段の生活に支障は出まくると思うのです。
ただその副作用として、自分が強制的になにかにカテゴライズされることで「もう今さら・・・」みたいな、そんな考えも生まれてしまうと思うのです。

元号も学校もない世界であれば、僕も、生まれたての赤ちゃんも、おじいちゃんも区別するものはない。
代わりに、長く生きているという事実だけがあって、なんかそれって今よりも自由だと思うのです。

新しい元号ができて自分が前の前の世代になった時も、世代を気にせず振舞いたいなぁ。
もしかしたらこの考え自体がもう、おじさんなのかもしれないけど。

ウチヤマ ケンイチ