令和2年9月22日に考えたこと

大抵のことは既視感があるし、普通のこと

ニッカオフィスのウチヤマケンイチです。

もうここ数年、ネットの情報に触れすぎて疲れてます。多分これは僕だけじゃないはず。
そういえば大昔、新聞やラジオ、テレビが登場した頃はどうだったんだろう。その時も現代と同じように情報に対して食傷気味になったのでしょうか。

情報疲れを起こすのは絶対量の話なのか、それとも変化量の話なのか。
少なくとも大昔の人と比べたら現代人は情報量に対する耐性は上がっていると思うのですが、それははたして良い変化なのか。

ネットが広まったのは僕が高校生くらいの頃です。それまでは携帯電話もパソコンもなく、情報といえばテレビや雑誌が中心。
情報源が限られていた頃は受け取る作業も簡単で、流行りのテレビ番組を観て、流行りの雑誌を読んでおけばそれでよかった。
個性を出すことも楽ちん。限られた選択肢の中で、マイナーな雑誌やブランドを選べばよかったのです。

それが今では選択肢が多すぎる。
もう簡単には個性を出せないほどにどんなパターンもやりつくされていて、大抵のことは既視感があるし、普通のこと。

でも実際には情報が少なかった昔だって、世の中を見渡せば自分と似たような人はたくさん居たんでしょうね。
限られた世界の中で生きていたから、自分の個性を自覚しやすかったし、てっぺんも最下位も見える範囲、想像できる範囲にあった。

井の中の蛙っていうのも必ずしも悪いことじゃないのかも。お山の大将は分かりやすい。

ウチヤマ ケンイチ