人間ってぜんぜん合理的じゃない。
ニッカオフィスのウチヤマです。
今回は「人間ってぜんぜん合理的じゃない」ことについて。
今日は各地で大荒れの天気だったみたいですね。
うちのオフィスがある横浜も本当に凄まじかったようでTwitterで「横浜 雨」で検索するとものすごい勢いでつぶやきが流れていきました。
にも関わらず昨日天気が良かったからと、今日は最上階の窓を開けっ放しにしてそのまま外出してしまったんです。
そしたら、外出先で横浜は雨で大荒れとの情報が。
人間っておかしなことにぜんぜん合理的じゃないんですよね。
似たような話は「ゲーム理論」でも昔から扱われていますが。
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今日は雨だからといって仕事だったのですぐには帰宅できない状況だったんです。
であれば、合理的に動くんだったら、すぐに家に帰れるわけではないんだし「一旦雨のことは置いておいて」まずは目の前のことに集中すればいい。
そして家に帰ってもし浸水してしまっていたなら、そこから最善を尽くせば良いわけです。
なのですが、豪雨だと知るやいなや、
「あぁ、どれくらい部屋が濡れてしまっているだろう。」
「あぁ、なんでおれは窓を開けたまま外出してしまったんだ。」
「あぁ、運が悪い。いや、天気予報を見なかった自分が悪いのか。」
「あぁ、、、(´Д`)」
と、ハラハラ、ソワソワ、モンモンとしちゃったわけです。
Twitterを見たり今後の予報を見たりとずっと落ち着かない。
そのせいで実際、目の前のことにも集中も出来ず効率も落ちてしまいました。
他にも人間って合理的には行動しないことってたくさん。
そして時としてそれによって事態を複雑で悪い方向に引っ張ってしまうこともしばしばです。
そもそもヒトって合理的じゃないんですよね。きっと。
なのに合理的であることが正しいと思い込んで、そうであるべきだと思い込んでしまっている。
だから、誰かにアドバイスするときとか、自分を変えたい時にも「こうするべきだ」とか「ああするべきだ」とかついつい正論を言ってしまう。
理屈はそうなのだろうけど、そうはいかない。それがヒト。
合理的に動かない自分や他人やコトに失望したり、イラだってしまう。
そしてハッピーになれていない人がものすごく多い。僕だってそうです。
その理由は、意地だったり、プライドだったり、弱さだったり、固執だったり、嫉妬だったり、ねたみだったり。
はたまた、こだわりだったり、想いだったり、強さだったり、責任感だったり、愛だったり。
そして、それを自覚していることもあれば、無自覚の場合もある。
どうしようもないコト、どうにもできないコトにあれこれ悩んだり、苦しんだり。
答えがないものを答えを出そうとしたり。
でもこうやって本来人間って合理的じゃないかもしれないのに「合理的であるべきだ」って悩み苦しむほうが、まったく合理的じゃないじゃないですか。
横浜のとある大人が集うバーに書かれていたメッセージですごく印象的だった言葉があります。
「あきらめる幸せ」
なんか、人生を悟った大人のかおりがします。
でも僕はまだまだ若いのでもう少しポジティブ。
「あきらめる」んじゃなくて「受け入れた」上で、より良くする方法を探していこうと思います。
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人間って言うのは合理的じゃないってことを、それを認めてしまえば結構気楽なもんです。
「今できることの最善を尽くす」とか「損切りする」というのはわかっているけど難しいですよ。
であれば、状況や気持ちに正直に動いて、それを受け入れたり、認めたりするほうがずっとしっくりくる。
そして、そのあとどうすれば前にすすめるかを考えればいい。
為末大さんが「自分が我慢してきた人は、人にも我慢させたい」とTwitterでつぶやいていました。
これってヒトの非合理な部分をすごく現している気がします。
合理的かどうかと同じくらいに、人は自分の感情や納得感というのを大切にします。
そして、自分が納得する状態と言うのは必ずしも合理的な状態とは限らないものです。
でも物事をポジティブに進めたり、良い方向に持っていくためには、この非合理を乗り越えてより良い選択をしていく方がいいんだと思います。
そして、そうあるべきだと思うし、自分も、そして自分の生み出すクリエイティブもそうでありたいと思っています。
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さて、結局、家に返ってみると奇跡的にまったく雨は入ってきておらず、床はこれっぽっちも濡れていませんでした。
心配しなくても良かったじゃん。それにしても濡れてなくて良かったー。
ウチヤマケンイチ