それは自分のモノなのかい。

ニッカオフィスのウチヤマケンイチです。

僕の従兄妹はブロンドヘアーの美人姉妹です。

なんでかって。それは叔母がアメリカの方と結婚したから。
だから従兄妹は混血。ロサンゼルスで生まれ育ったので、もちろん英語はネイティブです。
僕は一切アメリカとはつながっておりません。

すこし前に、そんな従兄妹にメールを送りました。
するとそれを見たアメリカで「けんちゃんが英語ができるようになったのか」と話題になったそうです。
ちなみに、けんちゃんというのは僕のことです。

なぜかというと、文中に使われていた英語がなかなかこなれた言い回しだったからみたい。
きっとネイティブのような表現が多用されていたのでしょう。

いまだに英語は全然ダメです。
そのメールを書いた時はきっとネット上から良い表現を探して使ったんだと思います。
コピーして使った一度限りの表現なので、僕の血肉にはなっていません。

メールではなく電話だったら、きっと一瞬たりとも英語ができるようになったとは思わなかったでしょう。

同じコミュニケーション手段だけれど、メールというのは書いた後はそこには「書かれた言葉」しか残らない。
書いた途端に、書き手の僕はそこから離れてしまいます。
もし偶然にも誰かと同じ文面になったら、そこに誰が書いたかを示す痕跡はもはやありません。

電話であれば、声質や長さ、あと発音なんかもみなそれぞれ。誰ひとりとして同じじゃない。
今回はそんな文字だけのメールだったから、一瞬でもできるのではと錯覚させたのだと思います。

「人の考え」を借りたり、「人の言葉」を借りたり。
そうやって誰かのモノを発信するのは、今の時代かんたんです。
ともすると先の話でいうところの「なんだか自分、英語話せるじゃないと」と勘違いしてしまうことになりかない。

情報をむさぼり集めて、自分は一言だけ添えてシェアをする。
たしかにそれも勉強にはなるのですが、それはあくまで他人の考えや言葉を借りてるってことを忘れないようにしないと。

まわりの人より、自分で自分のことを騙してしまいそうで心配です。

ウチヤマケンイチ
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