「働くこと」と「お金」の話。

ニッカオフィスのウチヤマケンイチです。

今日は「働くこと」と「お金」の話。

自分で言うのもアレですが、僕はさほどお金のかからない生活をしている方だと思います。
普段の生活と言えば、近所の安くてうまい定食屋で食事をして、近所の100円ローソンで生活雑貨を買って、娯楽と言えばインターネットが中心で大したコストはかからない。
コーヒーを飲むにしてもスターバックスを使うときは店内に居座るときで、ただコーヒーを飲みたいだけだったらセブンイレブンの100円コーヒーで十分。

それよりもそういった体験を大切な人と過ごすことの方をずっと大切にしています。

加えて僕は「お得感」が大好き。
たまの贅沢と言ったら、安くてうまいお店で好きなだけ飲み食いしたり、アウトレットやリサイクルショップで良いモノを好きなだけ買ったりといった感じ。

こうやってブログを書いている今も、自分の身なりを見てみたら頭からつま先まで全部アウトレットで買ったものでした。
そしてそれは別に我慢をしているわけではなくて、ナチュラルにそれをやっていることがほとんどです。

どうやら僕に限らず、僕と同年代か下の世代の方達は同じような価値観をもっている人が多いみたい。
旅行は海外で派手に遊ぶよりも自分の本当に行きたい場所に行ったり。
また高い車を買うんじゃなくて、実用的な軽自動車で十分。
別にモノやお金で他人に見栄を張りたいわけでもない。

加えて、僕は元々旅行にもあまり行く方ではないし、車にも乗らないのでさらにお金がかからない。

そしてこうやって安くて良い物に触れてそれで満足していると、別に無理してお金をたくさん稼がなくてもいいんじゃないかって思ったりする事もしばしばです。
今までとは違って現代においては金儲けというのはそこまで重要じゃないんですかね。

幸か不幸か、モノが溢れて豊かになったせいでそれらを手に入れるためのお金の価値が相対的に薄れてきているのかなぁ。

逆に前に書いたような充実した体験を他人にシェアして満足感を得たりします。
モノやお金の充実で他人に対して優越感を得るのではなくて、体験の充実で満足感や優越感を得る。
「素敵な体験」をFacebookなどで皆に見てもらうのは、「高価な腕時計」を身につけて皆に見てもらうのと実は同じような事なのかもしれませんね。

「リア充」なんて言葉は、そんな時代背景から生まれたのかな。
こうやって僕が毎日ブログを書いているのも、認められたいとか共感されたいとか、そういった体験を欲しているからなのかもしれません。

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そもそも技術が発達したおかげで実はみんながみんな一生懸命働かなくたって、世の中は十分に食っていける状態になっていると思うんです。少なくとも日本では。

「働かざる者食うべからず」って言葉があるけれど、それはもう物理的な仕組みの上では時代遅れなのかも。
参勤交代のように定期的に順番に働く制度をつくれば、毎日働かなくたって世の中ってもう普通に回るんじゃないですか。
なんかふと世の中を見ると、本当は忙しくないのに「働くために仕事を作っている」ように見えなくてもない。

と、いろいろ書きましたが「じゃあみんな休めばいい」というのが必ずしも正しいとは思っていません。

こんな便利な時代に、それでもみんなが毎日一生懸命働いているのは、それはひとつの真実で、そこには別にお金を稼ぐためではないところでの「働くことの意義」ってものが確実にあると思います。

それは自分の存在価値を確かめるためや、コミュニティに属している安心感の為なのかもしれません。
定年退職をむかえたってその後も働きたい人が大勢いることが、なんとなくそれを表している気がします。

仕事がすごく大変で、でも「食べていくために」とか「稼がなければ」って、辛い思いをしながら働いている人だって、実は裕福になったとしても結局働いているのかもしれませんよ。
そんなふうに考えると、仕事が誰かにやらされているものじゃなくなって、今よりちょっとは働くことが好きになるのかも。

ウチヤマケンイチ