デザインと閾値。

ニッカオフィスのウチヤマケンイチです。

閾値って言葉を知ってますか。

いきち、もしくは、しきいちと読みます。
辞書で調べてみると閾値はこんな意味でした。

“ある反応を起こさせる、最低の刺激量”

なんだか緊張感があって、好きな言葉なんです。
デザインをしているとこの「反応が起こる境目」というのがよくあります。

これ以上ボタンを大きくすると、ひとつの画面に入らなくなるとか。
これ以上写真を目立たせてしまうと、他の要素に気づかなくなるとか。

ようは反応ってすべてが連続的で起こるとは限らない。
「これ以上」という、この閾値を超えるか超えないかというのがとても重要だったりします。

改めて考えてみると、僕はいつもそんな閾値を意識してデザインをしてきました。
それに比べると閾値を超えない範囲や超えた範囲での連続的な変化については、あまり気にしていなかったかもしれません。
それくらいに、閾値を超えるか超えないかというのがデザインをする上で大切だと思っています。

最近起った身近な例。
iPhone6を使い始めたときの話です。

このiPhone6は以前のモデルよりも画面がすこし大きくなりました。大きさにして15ミリ。
今までにもiPhoneは新しくなるたびにちょっとずつ大きくなりました。
今回のiPhone6も同じようにすこし大きくなったのです。

でも、今回サイズ変更は、僕にとってはある閾値を超えた瞬間でした。
文字を打ってみたり、使い慣れたアプリケーションを使ってみて、すぐに気づいたのです。

「あれ、画面の一番上に指が届かないな」って。

大きさにしてわずか15ミリほどの差ですが、これは大きな影響でした。
ギリギリでも届くことと、まったく届かないこと。それはもう全く違う体験を生み出します。
実際、僕のiPhoneの使用方法がガラリと変わったんです。

まず、ホーム画面のアイコンの並びが変わりました。
以前はよく使うものを一番上の段に置いていたのに、いまは一番上にはそれなりに使うものが並んでる。
その代わりに、よく使うものは中央らへんに並んでいます。そうでないと指が届かないからです。

そして、閾値を超えたことは画面の外にまで影響を与えました。

指が届かなくなったので、両手で操作することが増えました。
15ミリの差が、使用する体勢や持ち方にまで影響を与えたんです。

また電車の中ではどうしても片手で使いたいので、掴みやすくするためにカバーをつけました。
今まではケースやカバーは使わないポリシーだったのですが。
そういえば昔のiPhoneは小さかったから、それでカバーを付けてたこともありました。

閾値を超えている場合と超えていない場合、それは見た目にはほんのちょっとの差かもしれません。
けれど、その差が大きい。
それは「できるか、できないか」という境目。1か0かという境目。

これってデザイン以外のこともそうですよね。
差としてはほんの少しのことなんだけれど、大きな差になることはたくさんある。

ギリギリのところで受注できて、目標を達成したとか。
どこまで言ってしまうと、相手を怒らせてしまうかなとか。
そんな風にある大きな差を生む反応が起こるポイントって、いたるところに存在します。

だからこそ、僕は閾値を大切にしています。
ちょっとの差でも結果として1か0になることって多いから。

明日からも、なんとか閾値を乗り越えられるようにがんばります。
そうしないそれまでやってきたことがダメになってしまうことが多いですからね。

世の中ってきびしいなぁ。

ウチヤマケンイチ
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