令和3年3月6日に考えたこと

比較する物がないと途端に大きさが分からない

ニッカオフィスのウチヤマケンイチです。

先日ふと見かけた水辺の風景写真。海か湖の水辺の写真でとても美しい。
そこには人や動物、木々や建物は写っておらず、水と岩場と、あとそこに生える植物だけの写真。その写真を見ていておもしろいことに気付いたんです。

その写真の縮尺がどうにもよく分からない。
飛行機から撮った広大な風景にも見えるし、建物の上から撮った写真、もしくは人の目線で撮った写真にも見える。
そんなことあるのかと思うのですが、比較する物がないと途端に大きさが分からないのです。

自然界にはフラクタルという概念があります。
シダの葉っぱや雪の結晶がその例ですが、一部の形とそれが集合してできあがった形が同じ形をしているというやつ。自己相似とも呼ぶんだそう。
今回の写真もフラクタルの一種なのかは分かりませんが、そういえば部分と全体がとても似通ってるという現象はよくある話だと思うのです。

一事が万事ということわざもある通り、仕事ができる人というのは細かなやりとりを見ていても、やっぱりちょっと違うんですよね。
ただ人間がフラクタルと違うのは、優秀な人だからといって細かなこともすべて完ぺきということはほとんどなくて、人はどこか抜けていたり、もしくは意図的に抜いていたりする。

人って色んな特徴が同居していて、いいことも、わるいこともある。
そのどれに注目するかで、優劣なんて簡単に変わってしまう気がします。

ウチヤマ ケンイチ