理由のない提案。

ニッカオフィスのウチヤマケンイチです。

「何となくそう思ったんですが。」

ビジネスの世界では”きちんとした理由”がないと、なかなか提案を受け入れてもらえません。
“きちんとした理由”というのは、数字での根拠だったり、他社の事例だったり、過去の事例だったり。

そのような数字や事例というのは、誰が見ても同じように判断ができる。
だからビジネスの世界では得てして受け入れられやすいものです。

一方で「何となくそう思った」では厳しい。
提案者の人の頭の中でしか整理されていないことだから、なかなか他の人には受け入れられません。
そして、往々にして何となく思ったことはただの思いつきということがある。
だから、なおさら”きちんとした理由”が重宝がられるのです。

では、きちんとした理由がある場合とない場合。
どちらほうがより正しくて、結果も出せるのでしょうか。
状況や人にもよりますが、僕は「何となく思ったこと」というのは、”きちんとした理由”をつける以上に大切だと思っています。

勘だったり、気配を感じるというやつ。あれってあると思います。
第六感なんて言うとなんだかオカルトな感じがしますけど、そうじゃない。

脳というのは自覚をしていなくても、様々な情報を受け取っていて記憶もしているそうです。
例えば、無意識の中で聴いている音とか、見ている物とか。そういうのがあるそう。
だから普段と違う状況になったとき、理由は説明できないのだけれど「こうしたほうが良さそうだ」と感じることがあるのだそうです。

チェルノブイリ原子力発電所で事故が起こったときの話。
事故が起こるその少し前から、中の作業員たちはいつもとは違う何かを感じていたそうです。
後にわかったのは、どうやら中のモーターの回転する音が自覚の出来ないレベルで僅かに変わっていたそう。
毎日毎日発電所内でモーターの音を聞いていたらから、無意識にその違いに気付いたのでしょう。

そうやって、脳というのは勝手に情報処理を行う。
多くの経験をしていれば様々な状況が蓄積されて、そこから「勘」のようなものが生まれる。
それが僕の考える”きちんとした理由”以上に大切な「何となく思ったこと」です。

自覚できることと、自覚できないこと。
そのうち自覚できることだけが正しいとは思いません。自覚できないことの中にも正しいことはたくさんあるでしょう。
正しいことをすべて自覚できるほど、そこまで人間は万能じゃないと思っています。
なのにビジネスになった途端に自覚できるものは重要で、自覚できないものは「理由になってない」となる。

組織で行うビジネスは、結果だけではなく「責任」や「正しい手順」が求められます。
だから、しかたのないことなのかもしれません。それは僕にもわかります。
ただ、たくさんの人たちに説明しながら進める仕事は、”きちんとした理由”が用意される代わりに、本当にたくさんの「自覚できない大切な発見」が失われています。

大組織も小さな組織もどちらも経験していると思うことがあります。
それは時代が変わって小さな組織でも大組織と同じような仕事ができるようになると、この意思決定の違いがとんでもない差を生んでしまうんじゃないかということ。

相手の勘を尊重するには、お互いの信頼関係が必要でしょう。
そうじゃなければ、理由も分からない誰かの提案を受け入れるのは難しい。

そして大前提として、プロであるならこの勘が「思いつき」にならないように、いつも真剣に仕事と向き合っているべきでしょう。
人に理由を説明できるのもひとつのスキルも大切だけれど、この無自覚の感覚をどれだけ持っているか。それこそがプロフェッショナルだと思う。

「理由は言えないが、どう考えてもこっちに進んだほうがいい。」

決して手を抜いて当てずっぽうに仕事をしているのではなく、真剣に。
そんな理由をつけられない提案でも周囲に受け入れてもらえるようになったら、それはプロとしてとても幸せなことだなぁ。

ウチヤマケンイチ
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