市場の判断は完璧じゃない。

ニッカオフィスのウチヤマケンイチです。

テクノロジーが進歩して、いろいろな仕事を機械やコンピュータにまかせるようになりました。
現在と未来の話だけでなく、人類の歴史では過去にも多くの職業がなくなっていきました。

氷屋さんに、紙芝居屋さん。
改札で切符を切る駅員さんは僕が子供の頃にはまだいたもんなぁ。
緊張しながら駅員さんに切符を渡して切ってもらったのを覚えています。

うちの商店街も昔はものすごく元気があったそうです。
ですが、今はシャッター商店街になってしまいました。
それは大型スーパーやネットショッピングが発達したからでしょう。
これも時代の流れなのかもしれません。

自然淘汰という言葉があります。
支持されるものは残り、支持されないものは消えていく。
強い遺伝子と、弱い遺伝子のように、強いもの、必要な物は残っていく。
市場によって物事は判断されて、放っておけばいずれ適切な状況に落ち着く。

基本的には僕もそうだと思います。市場の判断はある意味正しい。
ただ市場や私達の判断がばんのうかというと、それもちょっと違う気もするのです。

市場が判断した結果というのは、現象としては正しいことなんでしょう。
机上でどんなに理屈を並べたとしても起こったことが全て。起こっていることは全て正しい。
ただ、その結果が「正しい判断」であるかというと、そうでもない気がするのです。

例えば、うちの商店街の話。
スーパーで買うほうが、商品は安くて、選択肢も多くなったと思います。
ネットショッピングではそれがさらに加速して、同じ画面の中で価格の比較までできるようになった。

そういった面。手間や効率という面では、判断は正しかったと思うのです。
ただ、それと同時に「あの人から買った安心」だったりとか、「買うときの会話」みたいな、失われるものもある。
実はそれが楽しみだったのかもしれないのに、とある側面だけを見てしまって忘れてしまう。

市場の結果というのは、「ちょっとだけ適正の場所から行き過ぎてしまう」ことも多いと思うのです。
揺り戻しなんて言葉がありますが変化の後は往々にしてそんな揺り戻しが起こって、そしてやがて適正の場所におさまる。
とにかく前に進むことが全てではないんじゃないかなと。

僕もネットのサービスをデザインしてごはんを食べてます。
テクノロジーの進歩は素晴らしい面をたくさん持っています。

ただそんなSFのような世界にいきなり順応できるほど、人って変わらないと思うんですよね。
テクノロジーが進歩のほうが、人の順応よりずっと早い気がする。

ITやらテクノロジーやらが時代をすべて変えてしまうのような話。
それを本当に望んで、少しでも早く進めるべきなのかは、きちんと自分の頭で考えたほうがいいと思うのでした。

人ってまだまだ動物の部分が強いと思う。

ウチヤマケンイチ
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