令和3年12月13日に考えたこと

前提によって事実は随分と変わってしまう

ニッカオフィスのウチヤマケンイチです。

12年前、まだ価値がほとんどなかった仮想通貨が保存されたハードディスクを捨ててしまった人物がいたらしいのです。
なんとその人が今現在、埋立処分場の管理者に交渉してそのハードディスクを探しているんだとか。
見つかれば400億円の価値になるんだそう。なんとも気の毒な話だなと思いました。

客観的に見ればハードディスクが見つかる確率は低そうだし、見つかったとしても故障してデータが取り出せない可能性が高そう。
ただ見つけたときの見返りが400億円と途方もない金額だと、そこに賭けるだけの価値はあると、たぶん僕が同じ立場でも考えると思うのです。

気になるのはこのままずっと引きずって、そのうえ結局ハードディスクが見つからなかったときのこと。
捨ててしまった後悔と、探すことに時間をかけてしまったこと。そのダブルパンチはなかなか厳しいものがあると思うのです。

ただ意外だったのは、その人物はいま現在、結局仮想通貨により巨万の富を得ているらしいのです。
となると、埋め立て場を探してるといっても自らゴミを掘り起こしているのではなく、専門家と戦略を立てながら見つける方法を検討してるんだとか。

なんだか途端にこのニュースの印象が変わってしまって、同じことが起きていても、その前提によって事実は随分と変わってしまうんだなと思ったのでした。
それって公平なのか、逆に公平でないのか。さてさて。

ウチヤマケンイチ