令和6年1月14日に考えたこと

どうなると人はみすぼらしくなるか

ニッカオフィスのウチヤマケンイチです。

こないだ友人にスマホのケースが年季入ってるねと言われたので、さすがに買い替えようと思ってます。
ボロボロなことには気付いていたのですが、なんとなく慣れてしまうというか、とりあえず本体の保護はできてはいたのでそのままにしてました。

不思議なもので同じようにボロボロになったケースを他人が使っているとそれは目に入るんですよね。身なりにしても持ち物にしても、そういうのは自分よりも他人の方が気付きやすい。スマホのケースだけでなく服装とか髪型なんかもここ数年は無頓着になってる自覚はあるので、なんとかしないとです。

さて、いざケースを買おうと思うとものすごく種類がたくさんあります。素材も、色も、フタの有り無しとかも。フリマアプリをのぞいてみれば、送料込みでも数百円で買えたりするので、常に新しいケースを使うこともハードルは高くありません。
以前、知人が言っていたのが、安いシャツでも良いから常にまっさらの物を着ている方が印象が良いということ。この話は僕も同感で、まっさらな綺麗な格好をしている人は一緒に居ても好印象です。職場なんかでも、それだけでなんだか気持ちよく仕事ができます。

気持ちとしてはそうなのですが、一方、使える物は長く使うというのも「理屈」の上では良いことなんじゃないかと思っていて、どうもそっちを選んでしまいます。
みすぼらしさって何で決まるんだろう。

ウチヤマケンイチ